加藤清正の城はなぜ美しいのか?

2018年11月10日

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突然ですが、戦国時代の豪邸と言えば、やはり城でしょう。一国一城の主が男子の本懐という時代、全国各地に城が造られました。その城造りの名人と謳われたのが加藤清正です。彼は生涯に十数の城を造りました。天下普請といわれた名古屋城や江戸城の築城でも重要な役割を果たし、文禄慶長の役では朝鮮半島に3つも城を築いています。
加藤清正の天才的築城技術を今に伝えるのが、15年もの歳月をかけ完成させた熊本城です。壮大なスケールもさることながら、胸を打たれるのはその優美さ。清正流石組と呼ばれる石垣の描く曲線は、筆舌に尽くせぬ美しさです。1607年、関ヶ原の戦いの7年後、清正が目指したのは、籠城戦にも耐える堅牢な城です。難攻不落の城を造ったら、結果的にその城が美しかったという話なのです。
勿論それは偶然ではありません。高くなるほど勾配が急角度になる石垣の曲線は、登ろうとする敵を阻むために武者返しとも呼ばれていますが、それだけではありません。最近の研究によれば、あの曲線の構造は地震の揺れに強いという説があります。力学的に理にかなった形だからこそ、私たちはそれを美しいと感じるわけです。そしてこれは逆もまた真で、私たちは美しいものを正しいと感じるもののようです。脳科学的にも、美しさを認識するのも正しさを判定するのも、同じ脳の内側の前頭前野だそうです。
美しいものには圧があります。ましてやお城のような壮大で美しいものには、強大な圧があります。戦国武将は、その圧を上手く利用し、臣下や領民を視覚的に納得させ、領地を治めていたのです。つまり城は、自分たちの権威の正当性を可視化する強力なツールでもあったのです。
現代の私たちが建てる住宅にも美とスケール感によって、多くの人の心を捉えたいという承認欲求が隠されているのかもしれません。

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